生命の教義
目次
一 宗教はすべて〈いのち〉にかかわっている。そして宗教の〈いのち〉は善をなすことである 1 二 人はだれも、善といわれる善を自力で実行することはできない 9 三 人が悪を罪として避けるに応じて、人は自分からでなく、主から善を行うようになる 18 ①人がもし善を欲し、善を行ったとしても、悪を罪として避けないかぎり、善は善にならない。 24 ②人が敬虔なことを考えたり、話したりしたとしても、悪を罪として避けない限り、敬虔な行いは敬虔な行いにならない。 25 ③人が多くのことを知り、英知を味わったとしても、悪を罪として避けないなら、英知を味わったことにならない。 27 四 人は悪を罪として避ければ、避けるほど、真理を愛するようになる 32 五 人は悪を罪として避ければ避けるほど、信仰をもち、霊的になっていく 42 六 どのような悪が罪になるか、十戒が教えること 53 七 あらゆる種類の人殺し、姦淫、盗み、偽証と、それらにたいする欲情は、悪いことであり、罪として避けなくてはならない 62 八 あらゆる種類の人殺しを罪として避ければ避けるほど、人は隣人愛をもつようになる 67 九 人があらゆる種類の姦淫を罪として避ければ避けるほど、純潔を愛することになる 74 十 人があらゆる種類の盗みを罪として避けるに応じて、正直を愛するようになる 80 十一 人があらゆる種類の偽りの証言を罪として避けるにしたがって、その人は真理を愛するようになる 87 十二 人は悪に対抗して戦わない限り、心から嫌悪するほど、悪を罪として避けることはできない 92 十三 人は悪を罪として避けなくてはならない。また、あたかも自力でするように、悪に対抗して戦わなくてはならない。 101 十四 罪という理由以外で、人が悪を避ける場合実際悪を避けているのでなく、世の人に見えないようにしているだけである 108


