聖書の教義
Table of Contents
一 聖書すなわち〈みことば〉は、それ自身として神の〈みことば〉である 1 以上のような〈みことば〉の性格にたいし、だれも疑いをさしはさまないよう、わたしにたいして、主は〈みことば〉の内的意味を啓示なさいました。 4 二 従来まで知られていなかったが、〈みことば〉には霊的意味がある 5 〈みことば〉の個々全体の中に霊的意味がありますが、このことは、実例を示す以上にはっきりすることはありません。黙示録のなかでヨハネは次のように言っています。 9 ③ 〈みことば〉が神の霊感によって記されており、その単語の全体にわたって神聖であるのは、その霊的意味からくる。 18 ④ その霊的意味は、今まで知られていなかった。 20 ⑤ 主に由来する純粋な真理の中にいる人でなければ、今後とも〈みことば〉の霊的意味は分からない。 26 三 〈みことば〉の文字上の意味は、〈みことば〉の霊的、天的意味を含み支える基礎であり土台である 27 四 神の真理の充満と神聖性と力は、〈みことば〉の文字上の意味にある 37 黙示録21章にある新しいエルサレムの城壁の土台は、〈みことば〉の文字上の意味からくる諸真理を表しています。 43 ウリムとトンミムは、〈みことば〉の文字上の意味にある真理と善を表していました。 44 エデンの園にあった数ある宝石は、〈みことば〉の文字上の意味にある真理のことです。エゼキエル書によると、その園にはツロの王がいました。エゼキエル書にあります。 45 幕屋のカーテンや覆いは、〈みことば〉の文字上の意味を表します。 46 エルサレムの神殿の外部にあるものは、〈みことば〉の外部すなわち〈みことば〉の文字上の意味のことです。 47 主のご変容のみ姿は、〈みことば〉の栄光を表象しています。ペテロ、ヤコブ、ヨハネを前にして主はご変容になりました。それについて次のようにあります。 48 五 教会の教義は〈みことば〉の文字の意味から汲み取り、また確認されなくてはならない 50 ① 〈みことば〉は教義がなかったら理解されない。 51 ② 教義は〈みことば〉の文字上の意味から汲み取り、確認する必要がある。 53 ③ 教義に属する神の真理は、主によって照らされた人以外には現れてこない。 57 六 文字上の意味をとおして主と結ばれ、天使たちの仲間入りをすること 62 七 〈みことば〉は全天界にわたって存在し、そこから天使の英知が生まれる 70 八 教会は〈みことば〉に根差している。そして〈みことば〉を理解する程度に教会らしい教会となる 76 九 〈みことば〉の一つひとつには、主と教会との結婚ひいては善と真理との結婚がある 80 十 異端も〈みことば〉の文字の意味から考えられるが、それを確認することは、不幸を招くことになる 91 十一 主がこの世に来られたのは、〈みことば〉のすべてを成就されるためであったが、またそれを通して、最終末端的にも神の真理、神の〈みことば〉となられるためであった。 98 十二 現在この世に存在する〈みことば〉以前に〈みことば〉が存在したが消滅した 101 十三 教会外にいて、〈みことば〉をもっていない人たちにも、〈みことば〉をとおして光がある。 104 十四 〈みことば〉がなければ、だれも神を知ることはないし、天界と地獄、死後の〈いのち〉を知ることもなく、まして主を知ることはない 114


