天界の秘義#487

作者: エマニュエル・スウェデンボルグ

この節の研究

  
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487. 「日々」は、広義における時間と状態を示すことは、「創造された日」にあった第1章で述べました。本節でもそうですが、5, 8, 11, 14, 17, 20, 23, 27, 31節にもあるように、あらゆる時間が「日々」と呼ばれているのは、〈みことば〉ではごく当たり前です。それで広義における時間の状態も「日々」で表されます。それに「年」が加わり、「年々の時間」となると狭義における状態を指し、それがどのような状態なのかを意味します。

② 最古代の人たちは、自分たちの数をもっていました。三、

七、十、十二などの数や、それに他の数を加えたりして、教会の状態を理解し、教会の多様性を表しました。このような数には、秘義が含まれていて、それを説明するには多言を要します。かれらは教会の状態を数にしました。それは〈みことば〉では随所に見られるもので、とりわけ預言書に見られます。またユダヤ教会の祭儀では、時間の数、測量の数がありました。犠牲、ささげのパン、供え物、および聖なるものを儀式の上で示す場合などに出てきます。本節では「八百」、次節では「九百三十」、それに続いて出てくる歳の数などには、現在まで伝えられている以上に、数多くの狭義的意味があります。

すなわち、かれらの教会の状態変化を、かれらの共通の状態に比較・適用しています。神なる主の慈しみに頼って、十二までの単純な数が何を意味するかを以下に述べてみます。まずその単純数の意味を知らなくては、複合数の意味は理解できないからです。

  
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